最近よく、気をつけないとなと思うこと。
自分は「何によって幸福感、満足感や充実感を得ているか。」ってこと。
それは、人それぞれだと思う。
仕事だったり、
良い夫。
かわいい子ども。
経済的に余裕があること。
年齢より若く見えること。
着飾った自分。
好きなことを
出来ていること。
美味しいもの。
周りの人から
慕われていること。
それぞれが恵みだと思うし、blessing/祝福なので、
楽しむべきだと思う。
でも、自分が気をつけたいなと思うのは、
そういうことが、
心が満たされる源、
そのものになってしまわないように、ってこと。
自分を取り巻く状況=external/外側のいろいろが、
自分の評価や幸せ基準になると、
そういうものは、全て一時的で、絶えず変化しているものなので、
実態があるようで、ないものを追いかけたり、つなぎとめようとしたり。。
中毒っぽくなっちゃったり。。
不必要なエネルギーを費やしちゃって、
結局、気づいたら、そんな幸せじゃなかったり、満たされてなかったり。。
3匹の子ぶた的には、わらの家。。って感じかな。
「幸福感」の見方は人それぞれなので、
これは、あくまで自分自身について。
わらの家でも乗り換えながら、うまくやっていける人もいると思う。
一時的な、目に見えるものに、自分の人生の価値を置くことは、
簡単で、手っ取り早い。
評価もしやすい。
周りも受け止めやすい。
でもその分、「もろい」ような気がする。
早く建て上がったものは、早く崩れる。
じっくり建てたものは、あまり揺るがない。
大学時代、英語の授業で読んだストーリーを、最近よく思い出す。
独身の中年の女性が、1人で暮らしている。
家族もいないし、友達もいない。
もちろん恋人もいない。
毎日、特に出かけることもなく、1人で過ごしている。
周りの人からは、変わり者扱いされ、敬遠されているけど、
当の本人は、何だか幸せそうに、日々過ごしている。
そんな彼女を興味深く思い、遠くから観察して、
描写している。
そういうお話だった。
読んだ当時は、こんな人生は嫌だなって思った。
でも、周りが何と言おうと、彼女は “content” だった。
“content” は、日本語だと、幸福に満ちている感じ。
その様子が印象に残っていて、
今も覚えてる。
彼女を “content”/幸せに感じさせていたものは何なんだろう。
それは、お話には特に書かれていない。
周りから見ると、孤立して孤独な人生。
満たされる要素なんてないはずなのに、
彼女は、静かに、すごく幸せに過ごしている。
彼女ように、
状況や周りに左右されない “contentment” /幸福感を
持っていることは、
人にとって大切なことなんだな、と思う。
心の栄養として、何を食べて生きているのか。
何を幸福感や充実感、満たされることの拠り所としているのか。
それは、人それぞれ。
自分のそれは何かな。。
時々点検する必要大だな。。と。。
最近のthoughtsです。
by Murabayashi