グルーブ=「間」(ま) (1) アフリカ文化のビートの感じ方

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この間、ブラックミュージックのグルーブ感覚ついて、
2回にわたって書いたけど、

最近、グルーブについて考えることが多くて。。

少し書き残した、

グルーブの「間」について、書いてみようかな。。

ブラックミュージックの影響をうけた、FOUR LEAF SOUNDにとって、
グルーブは、言葉を届けてくれる、

大切な要素。

ちょっとしたことで、そのアイデンティティは大きく変わって、

世界観が別のものになるから、

FLSのドラマーは大変だと思う。

いつも、口うるさいセッションになっちゃう。。汗。
(ひで、いつもありがとう!)

サウンドクリエーターの金坂ゆきひろを、
FOUR LEAF SOUNDの相棒」って言って、

信頼しているのも、

彼のグルーブ感覚が、

FOUR LEAF SOUNDの言葉に、

しっくりくるから、っていうのは、

すごく大きいと思う。

最近思うのは、

ブラックミュージックのグルーブは、「間」(ま)なんだなってこと。

去年も、そんな記事を書いた。

1つの音が鳴って、次の音が鳴るまでの空間。

その空間の長さ・幅が、

「グルーブ」って呼ばれる波になっていくんだな。。

西洋では、音の長さを、四分音符とか八分音符。。
っていうもので、表す訳だけど、

「間」っていうのは、音の長さではなくて、
音と音の「間」(あいだ)のこと。

音符のように、数えられたり、
決められた長さがある訳ではなくて、

もっと、「空間」って感じの認識。

楽譜よりも、
もっとぼやっとしてると思う。

でも、前回のグルーブ記事でも書いたけど、

そこには、確実に「正解・不正解」が存在する。

その「空間」のとり方によって、

グルーブ感が変わって、

楽曲全体の印象もずいぶん変わる。

ブラックミュージックでは、

「空間」のとり方が、

意図的だと、自分は思ってる。

感覚的だけど、
意図的。。

アフリカ文化では、

音の「空間」の長さ=リズムによって、

情報伝達をしてきたので、

私たちの文字認識に近いものが、
あるんだと思う。

そして、

楽譜の考え方では、意識が、

音そのものにあるけど、

「間」って感覚では、

意識が、音ではなく、
音が鳴っていないところにある。

これは、ジャズのインプロ・即興演奏の考え方と、
同じでもある。

「音が出てないところをよく聞け!」
っていうやつ。

ガーナでドラミングとダンスを学んだとき、

音符には落とし込めない、
「間」の感覚をめちゃめちゃ感じた。

アフリカンビートは、楽譜では理解できない。

そんなの当たり前なんだけど、

そのニュアンスとかフィールは、

「感じて、覚える」しかない。

一緒にガーナに行ったバークリーの教授は、

イタリア系の白人だったけど、

そこがなかなか理解できず、
苦労してた。

楽譜上のリズムは、

数学のように、割り算的に、音の長さを把握する。

そして、

鳴らす音、そのものへの意識の方が強いから、

その教授は、

「楽譜」とか「音符」の概念の外にある、

「間」によってなりたっているグルーブを感じるのが、
少し難しかったのかもしれない。。

地元も子どもたちに、

ずっと「違う違う」言われてた。。

ちょっと「間」が変わると、
もう「違う」んだ。。

アフリカ文化のビートの感じ方。。

楽譜の考え方から抜けて、

「間」を感じることが、

めちゃ大事。。

この「間」っていうのは、

話し方とか、
人とのコミュニケーションにも

当てはまるな。。

なんて、ふと思った。。

「間」のとり方が、
絶妙に心地いい人がいる。。

沈黙をおそれず、

言葉が鳴っていない「間」を
楽しんでるのかもしれない。。

anyways,

長くなるので、今回はこのあたりで。
まさかの、これもシリーズ記事。。

次回は、日本舞踊とD’angeloをからめて書こうかな。。

 

 

by Murabayashi

 

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