グルーブ=「間」(ま) (2) アフリカンと日本舞踊の共通点 「間」から生まれる粋(いき)な表現

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先週の記事の続き。

ブラック・アフリカミュージックのグルーブ感覚は、

「間」だよね。。って、

超主観的な記事を書いたんだけど、

ブラックミュージックの源、
アフリカンドラムの世界では、

ビートを、

西洋の楽譜•音符の、割り算的な感覚では、
とらえてない。

もっと、音と音の「間」(あいだ)の長さ=「間」(ま)

的な感覚でとらえてるな。。って、

ガーナにいる時に思った。

この「間」(ま)の感覚をつかむのが、
白人の人たちには、少し難しかったみたいで、

でも、この「間」(ま)って感覚は、日本文化には存在するから、

自分には、かなりメイクセンスだった。

アフリカンドラムをたたいたり、踊ったりしていると、
日本舞踊と同じだな。。とよく思った。

自分は、小さい時に日本舞踊をしていて、
「間」ってことを、なんども言われてた。

長唄のこととかはよくわからないけど、

日本舞踊は、「拍」っていう明確なビートが存在しない(長唄などの)音を聞きながら、

「間」で踊っていく。

「間が違うよ。。」
「この間だよ。。」

ここでいう「間」は、
1つの振りから、次に動いていくタイミングなわけだけど、

「間」は踊り手の力量で変わるところだったり、
1曲を通しても、「間」のとり方は変動していく。

アフリカンやヒップホップのダンスも同じ。

ビートを割り算的に割った感覚で、
グルーブを感じてない。

体で反応していく「間」が、

動きを通して変わっていくから、

めちゃめちゃおもしろい。

おっしょさんが、

「間」は教えられない。
本人が感じて覚えるしかない。

って、よく言ってたことを思い出す。

アフリカンドラムも同じ。

説明を求める白人の教授に、

ガーナの人たちが困っていたのを覚えてる。

“just feel it!” の世界。

ブラックミュージックでも、
日本舞踊でも、
アフリカンやヒップホップダンスでも、

「間」のとり方が絶妙だと、

「粋だね!」ってなる。

無条件に尊敬するアーティスト、D’Angeloの演奏にも、

「間」を感じる。

彼の何がすごいって、

彼のグルーブ感。

彼の音楽センスはハンパない。
彼の弾き語りは、「弾き語り」って聞いて、思い浮かぶ演奏を、

はるかに超えている。

1人で、フルバンドと同じグルーブ感を出して、
会場のオーディエンスを沸かせちゃう。

FOUR LEAF SOUNDの弾き語りのクオリティをあげたくて、
彼のソロ演奏を、

ずっと聞いていた時期があった。

それで、なんとなく思ったのは、

D’Angeloは、感覚的に、

自分が音を鳴らしていない、
音と音の「間」を楽しんでるのかな。。ってこと。

彼のグルーブが心地いいのは、
彼の「間」のとりかたが、心地いいから。。

音と音の「間」(あいだ)。

空間を感じて、次に音を落とすのに気持ちいいところに、 音を鳴らす。

その繰り返しが、心地いい「粋」なグルーブになっていく。

アフリカンドラムもそうだったけど、

音が鳴っていない、
その「間」(ま)を、

どう感じるかで、

全く別のグルーブが生まれる。

プレイヤーとしては、

鳴らす音の方に、意識がいきがちだけど、

「間」を

どういう風に楽しむか。。

音が鳴っていない、
「空間」を味わうことによって、

ドライブ感や、うねりのある

パワフルなグルーブが生まれる。

「間」から生まれるもの。。

それを、バンド全体が感じていると、

さらに、めちゃめちゃパワフル。。

その一致が、ブラックミュージックの原動力でもある。。

とはいえ、こういうことを語っているだけではダメ。

演奏できるか、できないか。。は、
また別の話。

「間」の感覚を、

もっともっと自分にしみこませて、

FOUR LEAF SOUNDの言葉たちを、心地よくお届けできるように、

無意識のところまで落とし込みたい。

 

by Murabayashi

 

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